感染症に対し、過剰な反応が起きていることは間違いない。かと言って無関心でよいというのではない。
正しい知識をと専門家は言うけれど、みんなが正しい知識を持てたら専門家は必要なくなる。こんな時には デマと虚妄がはびこる。のみならず、恐怖商売の温床となる。
毎日感染者とはいっても検査陽性者数、ばかりが報道されている。ウイルス暴露、感染そして発病は区別すべきではないか。本当は発病者数や残念ながらも命を落とされた方たちの数を報道すべきである。最近になってやっと検査数のうちの陽性率を発表するようになった。
PCR検査が少ないことは万民の知ることであるが、国はこれといった対策を施していないのではとすら思う。
馬鹿な専門家まがいの者は検査が増えれば患者が増えるという。感染を意識していない人間が他者を感染させている可能性が高いのに、無策である。検査を増やすと医療崩壊が起こる。この言葉に毒されている気がしてならない。確かに重症患者が増え医療施設の許容量を越せば医療崩壊といえるだろう。しかし、検査を増やせば重症患者が増えるとはどのような理論で言っているのだろうか?医療崩壊の連呼。阿呆らしや。
本来は、利権まみれや情報独占をしている厚労省や感染研が先頭切って国民に正しい知識を知らしめるべきなのだが、そのような兆候は微塵も感じられない。
十年程前の日本の映画であるが「感染列島」というのがあった。数ヶ月前の日本を表しているようで現実味があった。その中でも「医療崩壊」やら「中和抗体」など現在にも通じる言葉が頻回に出ていた。ただしその映画では、感染するとたちまち重症化するという仮定であった。
どのような病気でも早期発見が重症化を阻止する手段ではないのだろうか。「医療崩壊」という言葉遊びは、いかがなものか?
一方で、コロナ接触確認アプリなる物を厚労省も推奨している。これが近隣の統制国家ならば有用であろうが、我が国のように中途半端な個人情報を主張する人が多い国では役に立とうはずがない。SNSでは個人情報垂れ流しにしているくせに、国全体にとって有用なときにでさえ個人情報を盾にする。いかがなものか?
中世西欧の魔女狩りは黒死病と共に拡大した。
人はしばしば自分自身は善であると思いこむ。したがって他の者が自分と同じような言動を取らない場合においてはそれを悪とみなして諫めるような行動を起こすことがある。今回の自粛警察あるいはマスク警察等はその良い例であろう。これが甚だ進みすぎた場合はたまたま何らかの病気にかかった人及びその集団を悪の温床とし排除したりする。すなわち村八分にしようとする行動をとる。地方では、感染が周囲の人に知られたくないから検査を受けず、医療施設にも行かないという風潮があるそうな。明治時代にペストが流行した裏側にはこのような迫害行動があったようである。これは日本人としてその民度が疑われるような行動でもある。
まるで中世ヨーロッパにおいて天災あるいは疫病が流行ったときにはそれを魔女のせいだとして魔女裁判だったり魔女狩りをし、そういうことをする人たちに正義があるとされる。
感染者あるいはコロナ感染によって重症化した方たちを持つ家族及びその治療に当たっている人々の職場に通っている方たちをまるで悪人かのように遠ざけ迫害をしているそうである。それは人間として最低の行動である。
誰一人として望んで病気になる人はいない。
人間誰しも自己防衛本能があるだろう。だからと言って過敏な反応を示すのはいかがなものであろう。何故かと言うといつ何時批判している人も望まずに病気にかかる可能性が誰しも平等に起こるからである。
デマ・虚妄・誹謗・中傷・敬遠・迫害 いかがなもか?
私が一番の偽善者かも、とひとりごつ